1956年の5MBハードディスクのドデカさと同時の日本におけるMUSASINO-1が興味深い

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X(旧Twitter)で人気になっていたツイートなのですが、5MBのハードディスクの筐体がとんでもなく大きくて驚きました。まるで、アップライトピアノのような雰囲気です。

https://x.com/retroxsister/status/1784486817208959255?s=61&t=4BadGZpBIbuN-A96gTPTXQ

これがどんな製品なのか調べてみると、「IBM 305 RAMAC」ではないか?ということでした。1956年に発表されたモデルでこちらのWikipediaで概要が解説されています。

IBM 305 RAMAC - Wikipedia

ハードディスクの構造ですが、24インチ(610㎜)の円盤を50枚持っているということです。それだけ当時は記録密度が低かったことになります。独立した2つのアクセスアームが上下に移動して記録トラックを選択する構造になっているというのも非常に興味深いです。こちらにIBMによる解説がありますが、その中に50枚の円盤が連なっている写真も掲載されています。

RAMAC | IBM
The first random-access disk drive revolutionized how businesses use computers and set the stage for everything from spa...

1つのレコードを見つけるために600ミリ秒、およそ0.6秒かかったとされています。現在のハードディスクから考えると信じられないほど遅いですが、当時のほかの手段と比較すると驚くべき技術だったのではないかと思います。

その後、ムーアの法則に従って二次記憶媒体の容量は急速に拡大し、現在では一つの3.5インチハードディスクで数TBの記憶ができるようになりました。今から約70年前の1956年に発表されたことから考えると、5MB→5GB→5TBと1000×1000倍、つまり100万倍の容量になったことになります。

私が最初にPC-9801シリーズのパソコンを触ったときには、まだハードディスクが付属しておらず、1MBの5インチフロッピーディスクだけで運用していました。このフロッピーディスク1枚にジャストシステムの一太郎が収録されていたのですから、今から考えると驚きです。

その後、1988年に発売されたEPSONのPC-286USというパソコンを秋葉原で購入しました。H20というモデルで20MBのハードディスクが搭載されていました。発売時の価格で393,000円、私が購入した際には価格が10万円程度にまで落ちていたと思います。

それまでフロッピーディスク主体で運用していたのに対して、ハードディスクにいろいろなアプリを入れておけばフロッピーディスクを差し替えする必要なく、かつ高速に運用できたのでとても便利でした。今から振り返ると20MBという容量はとても小さいですが、あれだけ便利になったことから考えると、1956年当時の5MBは本当にすごい技術だったのでしょう。

1956年当時は主記憶装置ですら、現在のような半導体ではなく、磁気コアメモリが多用されていました。こちらは同年代の1957年に電電公社(現NTT)が開発したパラメトロンを用いたコンピュータです。

パラメトロン
MUSASHINO
NTT

Wikipediaにおいても、「電電公社の電気通信研究所(通研、現・NTT武蔵野研究開発センタ)が後から開発し、1957年3月に稼働したパラメトロン式計算機MUSASINO-1が最も早かった。ただし、MUSASINO-1の当初のコアメモリの記憶容量はたった32ワード(1280ビット)であり、1958年3月に256ワード(10,240ビット)に拡張されてようやく実用的になった」と記載があるので、こちらのコンピューターそのものが磁気コアメモリを日本で実用化した最初のものなのでしょう。

演算および制御にはパラメトロン約5,400個が使用されているほか、記憶装置として2周波方式の磁心記憶装置=磁気コアメモリ(256語)が用いられています。

こちらのコンピューターは電気通信研究所内の計算サービス用に利用されていたということです。現在はNTT技術史料館に展示されています。

この70年間でコンピュータの技術は目まぐるしい進化がありましたが、指数関数的に今後の70年間も進化するのだとすると、いったいどのような世界が実現できるのか、とても興味深いです。

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