
新座のOSCデオシティに向かう途中、青梅街道を北裏から東伏見の方へと走っていました。まだ朝早かったこともあって、青梅街道は非常に空いています。また、北裏の交差点で曲がった時点で、前にも後ろにもクルマがいなかったこともあり、一番右の車線で少しスピードをあげてしまいました。
東伏見付近の取り締まり
すると、東伏見坂上の交差点を過ぎたあたりの物陰から、たくさんの警察官が止まれの合図を出しながら出て来ました。スピード違反の取り締まりです。まだ、無事故無違反なので、あと二年もすればゴールド免許になるところだったのですが、これで終わりかなと頭をよぎりました。
多分、青梅街道の手前に速度検知器が設置されていたのでしょう。ただ、クルマにはレーダー探知機を付けているのですが、特に反応はしていませんでした。
これはもうダメだと思っていると、警察官は私が走っている車線の隣の第二車線で通せんぼをしています。ルームミラーで後ろを確認すると、先ほどまではいなかったバイクが走っていました。すでにスピードを落としていましたが、これほど急激に追いついたということは相当のスピードを出していたのでしょう。
私自身は特に停められることもなく、そのまま、現場を通り過ぎることが出来ました。今回はスピードメーターを確認していなかったのですが、時速60Kmほどだったのでしょうか。今となっては、どの程度のスピードが出ていたか確認する術がありませんが、いくら道路が空いていたとしても、スピードは控えめにしなければいけないと痛感した出来事でした。
【2022年2月3日追記】
環状八号線の取り締まり
環状八号線の井荻トンネルを抜けて笹目橋通り方面に直進ではなく、右方向の環状八号線へと分岐していくと、車の数がぐっと減り、スピードを上げやすいトンネル区間が続きますが、こちらも待避所などを使ったスピード違反の取り締まりを実施しているところをよく見かけるようになりました。
スピード測定でNGになると、トンネルを抜けた先にある目白通りに向かう側道の分岐のあたりでサイン会場へ手招きされる仕組みになっているようです。
井荻トンネル内は追い越し車線を走ったままで環八本線のトンネルに向かう形になり、後ろからは急いでいる車があおってきたりするので、アクセルを踏みがちになりますが、注意が必要です。
【2025/09/01追記】
「北裏」の由来
三鷹駅から続く中央通りと青梅街道の交差点になんで「北裏」という名前が付いているのか分かりませんでした。三鷹市側には「北浦」と「南浦」という交差点がありますが、これとも関係がなさそうです。
しかし、「武蔵野の空襲とその記憶」という文献の中にそのヒントが書かれていました。
中島飛行機製作所に向かう工員が乗っていたのは「中島北裏」行きの定期バスでした。輸送力が足りず五日市街道から専用バスも出ていました。「中島北裏」とは工場の北の方を指した仮の造語と思いますが、「北裏」のバス停の名は今、青梅街道沿いにその名をとどめています。本来、練馬区には北裏という地名はなく、いつの間にか武蔵野市から練馬区に移ってしまっていますが、往時の名残であることは明らかです。
このような記録もあります。
最初の空襲の日(十一月二十四日)の空襲警報があったときは避難なんて言われないで急に来ました。空襲警報が鳴ると初めのうちは正門から逃げましたが、北裏方面へ出る小さい門があり、そこから東伏見のほうへ逃げました。
ほかのブログの記事の中には、中島飛行機武蔵製作所の北裏門に由来しているという記録もありましたの。
コメント